好きの気持ち

えいちゃんの時間が止まってから、27日。

えいちゃんが亡くなってから、気づけば4週間も経った。

 

あっという間だ。

 

どうしようもない苦しみはあの日から変わらないけれど、世界は変わらず回っている。

 

 

母は離婚届を出し、家を飛び出し、嵐が活動を休止した。

"平成最後"の1月は、一生忘れることのない出来事の連続だ。

 

 

 

母の家出。

地域の新年会から帰ってきた母。真っ昼間から泥酔して帰ってきた。

帰ってきて早々私の部屋で2時間いびきをかいた後、突然家を飛び出した。

正直、どっちでもよかった。冷静に、明日からのことを考えている自分がいた。事件・事故にさえ巻き込まれてなければどこで何をしていようがなんでもいい。めんどくさかった。

冷めてる、親不孝と言われるのかもしれない。

でも、、、茶番に付き合うのも育ててもらっている以上しょうがないのだろうか。もしそうなら、こんな茶番とっとと終わってしまえばいい。帰ってこなければいい。

探す気にもなれなかった。

心配してほしい。頑張ってるね、いつもありがとうって言ってほしい。

そんな母の気持ち。

応えられないわたし。

 

さすがに今晩は帰ってこないだろうし、

とりあえず家事やれることだけやって、

きっといるであろう祖母の家に電話しておくか、と思って電話の子機を持ち上げた瞬間、缶ビール片手に母が帰ってきた。

 

不機嫌ですよアピールの足音をどすどす響かせて。

 

何も声をかけられなかった。

でもとりあえず一緒の空間にいるのが嫌で、今こうして自室に籠って記事を書いている。

顔色伺いは得意だ。これまでもずっとそうしてきた。慣れっこだ。

でも、もう疲れた。自分を削るような感覚。ちょっと恐怖も混じっている。

 

可哀そうな私。

なにもわかってくれない娘。

 

「もうわたしは必要ないってことね」

 

かわいそうにね。

 

 

 

 

嵐が活動休止。

5人いるのだから。誰か死んじゃったわけじゃないんだから。いつか復活するかもしれない、5人の嵐をまた見れるかもしれない、そう希望を持って明日を迎えられるのだから。

羨ましいとさえ思ってしまう。

 

器が小さいと思う。けど、今の私の正直な気持ちだ。

 

次が、またきっとある。

そう信じて明日を迎えられる。

 

でも、明日はこない。

 

 

(元のツイートが見つけられなかったのだけど、)

ポカホンタスの「こんなに苦しむのなら出会わなければよかった」に対する「君を知らずに100年生きるよりずっといい」というセリフが話題になっている。

 

私がこの4週間ずっと思ってきたことだ。

とっても苦しいし、つらい。でも、知らずに生きるなんてとてもじゃないけど考えられない。

ほんの少しでも、あなたと一緒の時代を過ごせたこと。あなたのちょっとした言動にニヤニヤできたこと。好きでいれたこと。

私の人生において、大切な瞬間だった。とてつもなく幸せだった。

 

 

 

 

改めて、二朗さんのこの言葉がどうしようもなく染みる。

強く持とう。誰よりも強く。どんなに苦しくても。つらくても。

この気持ちは嘘じゃない。