#アバンティーズフッカツ
「今年こそエイちゃんの誕生日会俺がセッティングするわ!」と二人で飲んだ10月20日の夜、君が設定した固定ツイートは二度と元には戻らない。今日で一区切り。伝えたい事は全て伝えたから後悔はない。今日お前が絞った紅涙は俺が笑顔に変えておくから、この借りはまたそっちでな。じゃあな。 pic.twitter.com/WWDeEFFiXX
— そらちぃ(アバンティーズ) (@soraciavntis) 2019年2月27日
このツイートが頭から離れない。
何度見ても心が締め付けられる。涙が出そうになる。
またいつか、なんてない
また会おう、なんてきっとない
そんなことは分かっている。
でもきっとそのために宗教はある。
輪廻転生、またいつか会える、天国で。
でも、そうせずにはいられない。
さよならなんて、とてもじゃないけど言えない。
事故は尚更。あまりにも突然すぎる。
人は死ぬとき、どんな感じなのだろう。
虚ろな意識の中でも、最期になにかを思うのだろうか。
えいちゃんは最期になにを思ったのだろう。
そんなことばかり考えている。
考えても答えはない。
わかってはいるが、考えずにはいられない。
きっと、昔に比べて” 死 ”は軽い。
ニュース、ドラマ、マンガ、、、様々なシーンで人は簡単に死ぬ。簡単に取り上げられる。
ドラマ・マンガはフィクションだとしても、ニュースはリアルだ。
どこか簡単に取り上げられるが、きっとその先にはリアルタイムで悲しみの涙を流している人がいる。
ニュースを傍観する私。大変ねって。ありふれた日常の一部。
人身事故なんて遅刻の理由の一つ。その裏には。きっと。
忙しない日常の中で、目に見えているものの先を想像する時間も余裕も頭もない。
苦しい。この苦しみは、きっと特別なんかじゃない。日常だ。今も、この世界のどこかで誰かが死んでいる。悲しみ、苦しんでいる。
でも、所詮ありふれた日常の一部なんだ。
どんなに私の大切な人が亡くなっても、どんなに私にとって大きな人がいなくなったとしても、世界は変わらず回り続ける。
何も変わらず回り続ける。織田信長でさえ坂本龍馬でさえも、突然いなくなっても世界は止まらずに、私が生きている今がある。
どんなに泣いても、どんなに声を上げて泣き喚いても、日常は止まらない。どんなにドッキリだと思っても、そこのソファの裏に隠れてそうだと思っても、誰もネタばらしには来てくれない。
きっと、やっぱり。ドッキリなんかじゃないんだと、自分に言い聞かせる。
一番大切だと教わった命を差し出しても、時空を歪めることさえできないちっぽけな自分。だからこそ、自分のためにとことん使い込まなきゃいけない。
来週、日常が戻ってくる。
その先を知っている私たちだからこそ、誰よりも最高の笑顔で迎えたい。
誰よりも強く、暖かく。